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10月, 2021の投稿を表示しています

季節外れに咲いていたヤマツツジを生ける

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うちの裏山を散策していたら季節外れにヤマツツジが咲いていたので、散策の折にはいつも携帯している愛用の生け花鋏で切って道場入り口の花器薄端に生けたのである。 ヤマツツジ(山躑躅)はツツジ科ツツジ属の半落葉広葉樹の低木で、北海道南部・本州・四国・九州と広く分布しており、別名はエゾヤマツツジ、テリハヤマツツジ、ムラサキヤマツツジなどである。 ヤマツツジの花期は6月から8月であるので、10月も下旬に咲いてる風景におやと思って花材としたわけである。 その風景を活写するべく留意して無造作に生けたのである。 いけばなはこの「無造作」が大変難しく、どうしても作者の意図が先走って野趣が感じられなくなってしまうのである。 象形流では野趣を常に意識し、花をその存在のままに生けるということを基本とするのである。 それが氣の流れを生けるということであるが、氣がわからないものにとってはなんのことか分かるわけもないのはいうまでもないことである。 感性あるいは感覚でそれを感じていただければ氣を生ける華道家としてはこれ以上にない喜びである。 ヤマツツジを鉢植えはともかく切り花として店頭販売している花屋さんもなかろうから、自然の野の花や野草や樹木を採集して生ける象形流華道の独壇場である。 一般に小売りされている切り花にはない花も生けることができるのは生け花を生きがいとするものにはこれ以上ない喜びである。 また、実際には数本で数千円となるような花を何本も生けることは個人では負担となるが、象形流華道は自然の野の花や野草であるので、本数あるいは量は思いのままに大きく生けられるところも大変な魅力である。 もちろん自然の花あるいは野草あるいは樹木であるので、派手さはないが、そこはそれ太古の昔を彷彿とさせる原種の野趣を生けるわけである。 ・ 象気功

ツワブキを生ける

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象形流華道は野の花、 野草、樹木をその生きとし生けるものの場を表現することを信条としているので、昨今はやりの抽象あるいは現代アート風の生け方とは違い、ある意味古風である。 また、扱う花が基本的に原種の野草であるので、 生け花用に交配を重ね作られたいわゆる養殖のお花と違い色鮮やかなものはないのである。 今回の作品はツワブキの艶やかな深緑の葉をねじめにあしらい、鮮やかな黄色の花を天まで届くように配置して、絶え間ない氣の流れを描いた作品である。 それを感じるかどうかはあなた次第であるが、これは感性の問題であるので、良し悪しというよりはその人なりの判断でよろしいわけである。 ツワブキ(石蕗、艶蕗)はキク科ツワブキ属に属する常緑多年草である。 ツワブキは海岸付近の原っぱや崖っぷちや岩場などに生え、初冬に写真でごらんの通りの黄色い花を咲かせ、ツワブキという名の通りフキによく似た葉の植物である。 葉柄(ようへい・葉の一部で、茎・枝につながる柄のような部分)はカリウムや食物繊維やヘキセノールという抗酸化作用のあるポリフェノールを豊富に含み、フキ同様に食えるのである。 ツワブキは野菜として春に旬を迎え、皮をむいて湯がいてアクを取れば煮物や野菜スープにしたりして美味しく食べることもできるのである。 我が家では鶏ひき肉や油揚げにショウガを加えて、カツオだしで煮物にして食うのである。 一般的には食用よりも観賞用として庭園に植えられるわけであるが、もちろん今回生けたツワブキは我が象形流気功道場の広大な庭園に観賞用に植えられていたものを愛用の生け花鋏でチョキンチョキンとつまんできたものである。 ツワブキの花は関東あるいはうちの近所では今が盛りで、今生けないで何時生けるのかというぐらいの旬の生け花である。 象源流華道は自然の花を生けるのであるから、そのときどきの花に合わせての生け方であるので、いわゆる型はないのである。 あたしのそのときの印象次第で形は変わり、千変万化の変容を見せるということを信条とするのである。 そうは言っても、わが道場の入り口に飾る花であるので、それなりに制約があるのは言うまでもないことである。 横に広がったりすれば入り口から人が入りずらくなるし、高すぎれば倒れる恐れもあるので、そこはそれ臨機応変の華道である。 象形流の大本の象気功はその場の状況に合わせて水のように形を変えて

十三夜にススキを生ける

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今年の十三夜は10月18日であるので、我が家に伝わる十三夜用の大徳利にススキを生けたのである。 本来は神様にお酒をお供えする瓶子(へいし)という器に生けるのであるが、まあ、我がご先祖様は粋に大徳利で代用されたということかもしれないのである。 我が家に伝わるススキ用の大徳利は十五夜用と十三夜用があるが、微妙な模様の違いがあって、まあ、あたしとしてはどっちがどっちでもいいが、ご先祖様が決めたことであるので、今夜は十三夜用である。 ちなみにこれが我が家に伝わる十五夜用の大徳利である。 十三夜は陰暦9月13日の夜。8月15日夜の十五夜に次いで月が美しいとされ、「後(のち)の月」という。 十五夜の月を芋(いも)名月というのに対し、豆名月・栗名月ともいう。(デジタル大辞泉) ということであるが、華道家としてはとにもかくにもススキを生けて十三夜を寿ぐのが使命である。 十五夜の時と同様に、ススキを取りに山野を駆け巡ったのであるが、なにしろ一般的にはススキはやっかいものであるので、どこも業者の草刈りの憂き目にあってなかなか見つからず、やはり道路際の植え込みに生えてるのを愛用の生け花鋏で採取してきたのである。 その折にいわゆるひっつき虫あるいはくっつき虫がスウェットに大量にくっついて、取るのにこれもう難渋したのである。 この写真はほとんど取ってしまった後のもので、大げさでなくこの10倍ぐらいくっついていたのである。 これはヌスビトハギ(盗人萩)の実で、取るには天日干しにして乾燥させるといいらしいがそんな暇はないので指で一個一個はがしたのである。 この手の三角形の実は、ヤブハギ 、 ケヤブハギ、フジカンゾウ などがあり、 実の表面にかぎ状の毛が密生していて、強力なマジックテープのようにくっつくわけである。 勘弁してくれということであるが、べつにひっつき虫に非があるわけではなく、ススキを取るのに夢中でそんなことにはまったく気が回らなかったあたしに非があるのは言うまでもないことである。 そんなこんなで困難にもめげずススキを採取して作品としたのである。 ススキ(芒、薄)はイネ科ススキ属の植物でオバナ(尾花)ともいい秋の七草の一つである。 また茅(かや、萱)と呼ばれる有用植物の主要な一種で、野原を中心に民家の庭先や道路わきの植え込みなど、ある意味どこにでも生え、ごく一般的にあちこちで見られる多年

サザンカを生ける・大空(おおぞら)

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我が家所有の裏山のサザンカの花が終わりに近づいたので選定もかねて生けたのである。 サザンカは非常に多くの品種があり、微妙な違いで名称がわかれるが、おそらく大空(おおぞら)である。 サザンカはいわゆる街のお花屋さんでは鉢植え以外にあつかってるところもないので、野を走り山を登り森に分け入り野の花、野草、山木を採取し生ける象形流華道の独壇場である。 サザンカは元来花弁が落ちやすく、さらに終わりに近づいているので、テレビショッピングで買った高枝切りばさみで慎重に切り落としたのである。 「やらないよりマシ」を念頭に何事にも全力を尽くさない象師匠であるが、ここはひとつということで限界の注意を花に向けたので、気功法の一環としての象源流華道としては痛しかゆしである。 とにもかくにも、山中に咲くサザンカの迫力を垣間見ていただければ何よりである。 サザンカ(山茶花、茶梅)はオキナワサザンカとも呼ばれ、ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹である。 サザンカは日本の固有種で、ツバキによく似ており間違えられやすいが、ツバキよりも小さく、新梢と葉柄、葉の裏表の中央脈、子房に短い毛があり、花弁は基部で合着しないので花が終わると1枚ずつばらばらと散るのでわかるのである。 これがよく似ているので、一般的にはなかなか区別がつきにくく、自宅の庭のサザンカをツバキと思い込んでいる人も多々おられるかもしれないのである。 また、ツバキは早春から春にかけて咲くのに対し、サザンカの野生種は10月から12月に白い花が開花し、晩秋の花として親しまれてきたのである。 もちろんあたしが生けたのは山に分け入り採取した野生種であるので、まさに「晩秋の花」であるのは言うまでもないことである。 この「山に分け入る」ことこそ気功法の一環としての象形流の本領発揮で、山の樹木の氣をいかんなく吸収して氣を高めるチャンスであるわけである。 象形流華道は気功なのか生け花なのかと問われれば、「氣の氣の生け花」と答えるのである。 生け花によって氣を高め、高めた氣で花を生けるという氣の相乗効果である。 サザンカは椿よりも耐寒性で劣り、原産地は本州の山口県、四国、九州、沖縄であるが、まあ、東京でも普通にみられる花である。 耐寒性が弱いので庭木の場合は多少の手入れ必要かもしれないが、山には普通に咲いているので、0度以下にほとんどならない東京ではそんなに気にす

ホトトギスとノアザミを生ける

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上部の花がノアザミで下部の花がホトトギスである。 もちろんあたしが山野を駆け巡って採取した野の花であるので、鮮やかさはないが、そこはかとない野辺の野趣を生けてみたわけである。 どこからも見られるように三次元に生ける西洋生け花とちがい、日本では床の間に生けることを基本とするため、おおむね見る方向を定めて生けるわけであるが、まあ、道場の入り口に生けるので、前から見るように生けたわけである。 もちろん象形流華道は氣の習熟の一環でもあるので象気功タームの「こだわらない」を第一義とするが、芸術としての鑑賞という観点から当然見る方向を定めるのは当然である。 天井が高いので上にも広がるように鑑賞枠を考慮したわけであるが、若干横に広がってしまったのは神の思し召しである。 ノアザミ(野薊・野あざみ)の学名はCirsium japonicumで、キク科アザミ属の多年草でアザミはこの仲間の植物(アザミ属)の総称である。 花色はごらんの赤紫色や淡紅色のほか、白色もあり、別名コアザミとも呼ばれるのである。 アザミの由来については、葉の縁にとげがあり触ろうとするとトゲに刺されて「イテテテ、あざむかれた」という意味合いからついたという説があり、そこから花言葉は「触れないで」であるそうである。 ホトトギス(杜鵑草・杜鵑)は学名Tricyrtis hirta でユリ科ホトトギス属 の植物で、日本、台湾、朝鮮半島に19種が分布する多年草である。 鳥のホトトギス(不如帰)の胸にある模様と似ていることからこの名が付いたといわれ、葉にある斑点は 花が咲く頃には消えるということである。  9月12日の誕生花で花言葉は 「秘めた意志」である。 最近はどんな花もスマホで写真検索ができるので、いいかげんであやふやな通称でなく正確に調べられるので非常に便利である。

コスモスを生ける

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コスモスは、キク科コスモス属の総称で、一般的に見られるオオハルシャギクのほかにキバナコスモス、チョコレートコスモスなどがあるが、我が象形流気功道場の庭園に群生しているのはもちろん一般的なオオハルシャギクである。 象形流華道は野の花を生けることを旨とする流派であるので、我が大庭園の2mに育ったコスモスの大木を切り倒し、その生気が失せないうちにその姿を花器薄端に移したわけである。 コスモスは非常に世話のかからない植物で、やせた土地にも元気に育つのであるが、我が大庭園は元が農地であるので、肥沃すぎるため育ちすぎてしまうのである。 だから、ふつーのおうちのお庭やベランダでお育てになる場合は肥料をやりすぎないようにすることがコツである。 野の花であるコスモスは、やはり 野に咲いてるままの状態のものがよろしいとは思うが、象形流薄端華道家元としては薄端に生けたいわけである。 しかし、コスモスは生け花としては非常に難しいのである。 それはいわゆる「持ち」が悪く、4~5日で花びらが落ちてしまうからである。 つまりはコスモスは生け花としては不向きな花であるが、昨今は街のお花屋さんでも切り花として売っているところもあるので、お花のお稽古に精進する方は一瞬の時を生けるという楽しみも味わえるわけである。 コスモスの語源は、ギリシャ語では「宇宙」の「秩序」を意味し、ラテン語では秩序をもつ完結した世界体系としての宇宙の事であるので、宇宙のエナジー波動を体内に受けて氣を高めることを生業とする我が道場の入り口に生けることは、神の御指図であるのは言うまでもないことである。 象形流華道は人体の組成が宇宙と一体であることをつかむための法である。 ・ 象気功