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11月, 2021の投稿を表示しています

初冬の野草を生ける

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秋も深まりいよいよ冬に向かう今日この頃、生け花マニアの皆様方にはいかがお過ごしでしょうか。 さて、今日も今日とて、自然派華道の騎手として野を走り山に登り森林に分け入り、大活躍の末、ヤマユリ(山百合)、オイランソウ(花魁草)、イチジクの果実、ネコジャラシ、野菊などの野草を採集して生けたのである。 ヤマユリ、オイランソウはすでに種の状態で、イチジクもすでに果実を付け、冬に入らんとする枯野の情緒満点である。 てなことで野菊の他は、種あるいは果実であるので、次代にエネルギーを継ぐ枯野の中に忽然と咲き誇る野菊の生命力あふれたエネルギーをご覧あれという作品である。 左にネコジャラシをはみ出させてバランスを意図的に崩して野趣をいかんなく表してみたわであるが、シンメトリーにならないように生けるのが生け花の基本であり心意気であるので基本通りといえば基本通りでまともな構成である。 ときにはその構成を崩して思いっきりわけのわからないものを生けたいと思うが、なにしろ道場の入り口に飾る花であるので、縁起物という側面を考えての見栄えを忖度するわけである。 あくまでも自然の野の花、野草、樹木を生ける象形流華道としては、これから真冬に向かって生ける花が限られてくるが、そこはそれ神の御意思に従ってあるものをあるように生ける所存である。 自然を生けるということは、この世宇宙のことわりをそのまま生けるわけであるから、枯れ葉枯れ枝もありがたいありがたいと拝み倒して生け花の素材とするのが生きとし生けるものへの感謝であり儀礼である。 ・ 象気功

再びサザンカを生ける・姫白菊

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 例によってうちの裏山に咲いていたサザンカを生けたのである。 山のものであるから花の向きがあっちゃこっちゃであるが、それも風雅のひとつとらえての作品である。 前回は大空(おおぞら)という種類を生けたわけであるが、サザンカは大変種類が多いのである。 専門家や好事家があれこれ交配して微妙にちがうものにそれぞれ名前を付けて楽しんでおられるので、まあ、正確なところは何とも言えないが、今回生けたのは姫白菊というもっとも一般的な、いわばサザンカの代表的な種類である。 姫白菊の開花期は11月から12月で、つまり、今が最盛期である。 ツバキも大変種類が多いので、サザンカとツバキを見分けるだけでも大変である。 まあ、いずれにしてもあたしは氣と美を追求する気功師華道家であって、植物学者でも庭師でもないので正確な名称は専門家にお任せするのである。 ましてあたしが生けるものはいつ植えたかわからない、ある山にある意味自生のものであるので、何がなんだかわからんものもあるのである。 山のものであるので、自生の勢いというのか、自然の雑然とした野趣を表現して生けたわけである。 生け花をオブジェとして抽象的な表現で生けることが昨今の風潮であるが、それはそれとして、気功家の氣の修練としての生け花は自然の息吹をいかんなく表現するのが道であると、誰が何と言っても譲らないわけである。 もちろん誰も何とも言わないとは思うが、美についてはそれぞれであるので、この生け花から氣を感じていただければこれ幸いである。 まあ、そうは言っても道場の入り口に生ける花であるので、でたらめに生けても美とはほど遠いことになるので、そこはそれなりの法に則って生けるわけである。 もちろんあたしの感性であるので、受け入れられないという向きもあるのは承知の上である。 野趣を生けることを基本とするのが象形流華道である。 ということでひとつ。 ・ 象気功

ヤツデの花を生ける

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 我が庭園のヤツデの花が満開であるので、さっそく生けたのである。 さすがにどう考えてもヤツデの花を切り花として売ってる店もなかろうから、自然の野の花、野草、樹木を生けることを旨とする象形流華道のどんなもんだいという作品である。 ねじめをヤツデの葉であしらい、さらに背景としての色合いをあれこれして生けてみたら、これがなかなかイケルのである。 申し訳ありません、わたくしつい調子にのってしょーもないダジャレをかましてしまいました。 ダジャレを言うのはダレジャ。 くだらんネタはともかく、茎が重いので立てるのに苦労したが、それなりに垂直になってくれたのでこのような豪快な風景となったのである。 象形流の一貫した花器の薄端は壺としても使えるが、基本的には上部が水盤になってるので、剣山だけでは樹木などの重い花を立てるのは実に困難である。 あたしはいつも庭の手頃な石を支えとして立てるのであるが、花を生けることはある意味創意工夫の楽しみということでもあるわけである。 なにしろお花のお稽古用にしたてられて販売されてる切り花とちがい、いわば好き勝手伸び放題に伸びたものを採集して生けるわかであるから、花によっては生けてみないことにはどうなるのか検討もつかない場合もあり、生け花としてはそうとう難儀なこともあるわけである。 しかし、それをなんとかする工夫も楽しみのひとつであるので、それなりによい風景が出来上がると心地よい満足感で、これまた体が緩んで氣道も緩めば、当然血管も緩んで、血流が良くなり、全身数十兆個の細胞に酸素と栄養素が隈なく行き渡り、細胞の再生修復メンテナンスが滞りなく行われるのは必定である。 さらには、生け花は造形美を追求することにより、右脳の活性化にともなう視空間認識力が向上し、脳の健康ということでも効果があるのは当然である。 体を使わなければ内臓や筋肉が衰えるのと同様に、右脳左脳も適宜使わなければ衰えるのは当然であるので、氣の修練も含めて多方面に渡ってあれこれするわけである。 絵画などでご存知のように天狗はヤツデの葉を手に持っていて、それで扇ぐと大風が起きてあらゆるものを吹き飛ばすということから「天狗の葉団扇(テングノハウチワ)」とも呼ばれるのである。 また、ヤツデは葉の形状が人手のようであることから、古来より、「人を招く」「千客万来」などの縁起物として玄関先や店先などに飾られる

カラスウリを生けて時の経過を鑑賞する

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  秋も終わりで裏山の柿の木にからまったカラスウリがすっかり色づいたので、これはいいと感激して採集して生けたのである。 ツゲの枝を支柱にして山の樹木にからまって野生の雑多なエネルギーを発するカラスウリを表現したのである。 この作品を見てそのような情景を思い浮かべていただければ拍手喝采感謝感激であるが、まあ、昨今はカラスウリを知らない世代も多々あるだろうから無理な話であるかもしれないのである。 カラスウリを葉も含めて切り花として販売してる店もなかろうし、葉は生け花にすると一夜でしおれてしまうので、このように実と葉をいっしょに生けることは生け花としては非常に困難であるので、実だけならともかく、まるごと生け花としたのは古今東西これが初めてではなかろうかと思うのである。 毎度言うことであるが、このような自然のものを生けることは、野を走り山に登り森林に分け入り花材を採集して生ける象形流華道の独壇場である。 毎度の自画自賛はともかくとして、この情景は一瞬の幻ということである。 自然派華道家のあたしとしては実に感激の一作である。 対してカラスウリの実の方は1年ぐらいはこのままの状態であるので、他の生け花の添えとして生けることもできるのである。 先ほど道場への来客の高齢の女性がこのカラスウリの生け花を見て、故郷の庭先を思い出して感激したと目を潤ませておられたのである。 あたしの生け花で感激したのではなくカラスウリそのものを見て感激されたわけであるが、まあ、なんでも喜んでいただければ幸いである。 カラスウリ(烏瓜)はウリ科の多年生つる植物で、花は雌雄異株で開花期は7~9月であるが、その後初秋に実をつけ、最初はグリーンにウリボウのような縞模様であった実が晩秋には写真のようにみごとな赤に近い濃いオレンジ色となるのである。 そのウリボウがこの生け花の左下にくっ付いていたので、アップである。 これは育ち遅れて今の時期まで縞模様をのこしているわけであるが、なるほどウリというだけあって食えそうである。 カラスウリは実際に食用となり、若い時期の葉はてんぷらで美味いし、 ゆでればあえ物となり、ウリボウ状態の若い実なら塩漬け粕漬のような漬物となり、ゆでて汁物の具となるのである。 また、種が大黒様の打ち出の小槌に似ていることから、財布に入れておくと金運に恵まれるということで縁起物としてあれこれする人もお