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枯れ紫陽花(アジサイ)と菊を生ける

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我が庭園のアジサイがほどよい枯れ具合となったので、菊を合わせて採集して生けたのである。 アジサイ(紫陽花、八仙花)は、アジサイ科アジサイ属の落葉低木で、開花期は6月から7月であるが、花弁に見えるのは実は額で、秋から冬にかけて枯れ紫陽花となり、自然を生けることを旨とする象形流華道としてはかっこうの素材となるのである。 アジサイの花弁つまり花びらに見える部分は萼(がく)の変化したものであるので、落ちることもなくそのまま枯れてこの味わいとなるわけである。 あたしは当たり前に「枯れ紫陽花」と言い慣わしてるが、一般用語なのかも不明で、俳諧においても枯れ紫陽花は季語となっていないので、国語辞典等に掲載される正式な語彙であるのかどうかも怪しいところである。 それでオンライン辞書のWeblio辞書国語辞典で調べてみると、やはり「紫陽花」はあるが「枯れ紫陽花」はないのである。 まあ、言葉は通じればそれでよしとしないと、どんどん変化して、そのうち枯れ紫陽花が大辞林に載る日もあるかもしれないので、そこはそれ流れのままにである。 何を言ってるのか自分でも判然としないが、まあ、とにもかくにも、枯れ紫陽花という状態のアジサイを、同様に庭園に咲いている菊と合わせて生けたわけである。 自然派華道の良いところは量的なボリュームをいくらでも上げることができる点である。 足りなければ、野山を走り回り、その他の花材を探せばいいわけであるが、お花のお稽古的な生け花では店から高価な切り花等を買うわけであるので、量的には非常に情けなくなるのはいたしかたないのである。 まあ、今回はいわゆる庭のお花植木であるが、本来は自然の野の花野草樹木を生けるわけであるので、当然採集時に走り回り動き回り、体力的にそうとうなあれこれとなり、身体壮健を目的とする気功家道場の入り口に行ける花としては実に理にかなったものである。 人間は動物であるので、動く物でなければならないのである。 ううむ、文章が行き詰ってあやふやになってきたので、終わり。 ・ 象気功

紅葉したドウダンツツジと白いサザンカを生ける

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市販の切り花を買ってきて漫然と生けるありきたりなお稽古としての生け花とは違い、象形流華道は野を走り山に登り森林に分け入り自然の野の花、野草、樹木を採集して生けるという氣の修行としての生け花であるので、冬に入り生ける花も限られてきたわけである。 しかし、もちろん体力自慢の象師匠であるので、本日もうちの裏山に分け入り今を盛りのドウダンツツジと白いサザンカを採集して生けたのである。 山の情景をどのように表現しようかと考察して、ねじめに雪をイメージする白いサザンカを配して紅葉したドウダンツツジの根元に降り積もった初雪としたのである。 そこはそれ生け花はゲージュツであるので、しっかりと表現するものがなければいけないのは言わずもがなであるが、デザインに固執すると色合いと形にとらわれて本末転倒になる場合も多々あるわけである。 氣の修行の一環としての視空間認識力の向上を画策するばかりでなく、我が象形流気功道場の入り口を飾り開運招福のための生け花でもあるので、華やかさも必要である。 ドウダンツツジ(灯台躑躅、満天星)は、ツツジ科ドウダンツツジ属の植物で、4月から5月中旬ごろに白い花を付ける低木の落葉広葉樹である。 うちの近所では11月から12月中旬ごろに紅葉の盛りとなり今回の作品となったわけである。 ・ 象気功