ヤツデの花を生ける


 我が庭園のヤツデの花が満開であるので、さっそく生けたのである。

さすがにどう考えてもヤツデの花を切り花として売ってる店もなかろうから、自然の野の花、野草、樹木を生けることを旨とする象形流華道のどんなもんだいという作品である。

ねじめをヤツデの葉であしらい、さらに背景としての色合いをあれこれして生けてみたら、これがなかなかイケルのである。

申し訳ありません、わたくしつい調子にのってしょーもないダジャレをかましてしまいました。

ダジャレを言うのはダレジャ。

くだらんネタはともかく、茎が重いので立てるのに苦労したが、それなりに垂直になってくれたのでこのような豪快な風景となったのである。

象形流の一貫した花器の薄端は壺としても使えるが、基本的には上部が水盤になってるので、剣山だけでは樹木などの重い花を立てるのは実に困難である。

あたしはいつも庭の手頃な石を支えとして立てるのであるが、花を生けることはある意味創意工夫の楽しみということでもあるわけである。

なにしろお花のお稽古用にしたてられて販売されてる切り花とちがい、いわば好き勝手伸び放題に伸びたものを採集して生けるわかであるから、花によっては生けてみないことにはどうなるのか検討もつかない場合もあり、生け花としてはそうとう難儀なこともあるわけである。

しかし、それをなんとかする工夫も楽しみのひとつであるので、それなりによい風景が出来上がると心地よい満足感で、これまた体が緩んで氣道も緩めば、当然血管も緩んで、血流が良くなり、全身数十兆個の細胞に酸素と栄養素が隈なく行き渡り、細胞の再生修復メンテナンスが滞りなく行われるのは必定である。

さらには、生け花は造形美を追求することにより、右脳の活性化にともなう視空間認識力が向上し、脳の健康ということでも効果があるのは当然である。

体を使わなければ内臓や筋肉が衰えるのと同様に、右脳左脳も適宜使わなければ衰えるのは当然であるので、氣の修練も含めて多方面に渡ってあれこれするわけである。

絵画などでご存知のように天狗はヤツデの葉を手に持っていて、それで扇ぐと大風が起きてあらゆるものを吹き飛ばすということから「天狗の葉団扇(テングノハウチワ)」とも呼ばれるのである。

また、ヤツデは葉の形状が人手のようであることから、古来より、「人を招く」「千客万来」などの縁起物として玄関先や店先などに飾られるようになったそうである。 

我が象形流気功道場の入り口に飾ることは千客万来招福の意味もあるわけである。

まあ、余談であるが、あたしゃ今までヤツデという名は、葉の先が八つに分かれているからヤツデというのかと漠然と思っていたのである。

しかし、今回生けてるときに数えてみたら、八つに別れたものの他に九つのものと七つのものもあるということを発見したのである。

ぞれでネットでググってみると、ヤツデの八は数が多いという意味合いで、八つに別れているからヤツデということではないということが判明したのである。

いやはや人間は知っていることしか知らないのである。

象気功

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