三寒四温を表現して雪柳と菜の花を生ける
まあ、地方によってはすでに春本番であると思うが、東京の3月上旬は、いわゆる三寒四温で、春もあれば真冬もあるという今日この頃である。
雪柳が寒で菜の花が温ということであるが、春の芽吹きということも併せて表現したわけである。
菜の花は我が自然農園にほったらかしで勝手に花を開くいわゆる食品である。
生けた後はもちろん洗って食っちまうわけであるので、この世に花開く一瞬をとらえたあれこれということである。
ありがたいありがたいと食えば菜の花を育てた土も微生物も喜び、すべてに供養となるわけである。
人間はとにかく他の生命体を日々食わなければ生命を維持できないという実に情けない生き物であるので、とにかく万物に感謝してありがたいありがたいと食いまくるのである。
食いまくるのかよ。
雪柳はさすがに食えないので、鑑賞するだけであるが、それでもゆったりとした曲線が醸し出す情緒は見るものにほのぼのとした思いを与えるので、それはそれでこの世に存在する意味がそこかしこにあるわけである。
生け花はその表現に関わらず見るものの視点で理解すればよいことであるので、その意図を解説するのは実に面はゆいことであるが、言わずにおれないハイパーグラフィアの業である。
何言ってるの?
知らんがな。
まあ、そんなことである。
・象気功
コメント
確かに、他生命体を食わねば生命を維持できないとは情けない。感謝、そして申し訳ないと感じます。