ツワブキの枯れ花とアカメモチを生ける
東京の辺地である我が道場の周囲も昨日の雪が解けたので、長靴を履いて100万坪の大庭園を駆け回り、ツワブキの枯れ花とアカメモチを採集してみごとな手際で生けたのである。 見事な手際かどうかは異論がある向きもあるとは思うが、自分で言うのもなんであるが、てきとーに生けてもこのクオリティであるから、やはり天才霊能華道家と言わねば気が済まないわけである。 いつもの自画自賛はこれぐらいにして、ううう、目が覚めない、だめだこれは、とにかくコーラを飲もう。 去年の暮れにコーラの1.5Lボトルの特売をやってたので3ケースをお買い上げになったのである。 これで心置きなくコーラを飲み放題である。 日本有数のバカである。 まあ、そんなバカ自慢はともかくとして、本題に戻ると、象形流華道はお花屋さんから買って生けるお花のお稽古とはちがい、自然の野草樹木を採集して生けるというのが教義であるので、枯れ花、枯れ木、枯れ葉も花材であるのは言うまでもないことである。 東京の辺地である我が家の周囲では枯れた花のことを「ほうける」と表現するのである。 だから今回生けたツワブキの枯れ花は「ほうけたツワブキの花」ということになるわけである。 まあ、あたしは当たり前にこの「ほうける」を日常につかっていたのであるが、どうも人によっては通じないので調べてみたのである。 ほう・ける【×惚ける/×耄ける/×呆ける】 [動カ下一][文]ほう・く[カ下二] 1 知覚のにぶった状態になる。ぼんやりする。ぼける。「起きぬけの—・けた顔」「病み—・ける」 2 (ふつう「蓬ける」と書く)草や髪の毛などが、ほつれ乱れる。けば立って乱れる。 「雨に—・けた雑草の中に」〈三重吉・小鳥の巣〉 3 動詞の連用形に付いて、そのことに夢中になる意を表す。「遊び—・ける」 (出典・デジタル大辞泉) つまり、あたしが使っている「ほうける」は2番目の「蓬ける」ということで、草などがほつれ乱れるてな意味合いであるといことが判明して、「ほほう、なるほど立派な日本語として成立する良い語彙であるぞ」と納得したのである。 アカメモチは花ではなくみごとに紅葉した葉である。 アカメモチは「モチ」と付いており、葉の形や12月ごろ赤く色づく実や葉の形などがモチノキによく似ているが、モチノキ...