カラスウリを生けて時の経過を鑑賞する

 秋も終わりで裏山の柿の木にからまったカラスウリがすっかり色づいたので、これはいいと感激して採集して生けたのである。

ツゲの枝を支柱にして山の樹木にからまって野生の雑多なエネルギーを発するカラスウリを表現したのである。

この作品を見てそのような情景を思い浮かべていただければ拍手喝采感謝感激であるが、まあ、昨今はカラスウリを知らない世代も多々あるだろうから無理な話であるかもしれないのである。

カラスウリを葉も含めて切り花として販売してる店もなかろうし、葉は生け花にすると一夜でしおれてしまうので、このように実と葉をいっしょに生けることは生け花としては非常に困難であるので、実だけならともかく、まるごと生け花としたのは古今東西これが初めてではなかろうかと思うのである。

毎度言うことであるが、このような自然のものを生けることは、野を走り山に登り森林に分け入り花材を採集して生ける象形流華道の独壇場である。

毎度の自画自賛はともかくとして、この情景は一瞬の幻ということである。

自然派華道家のあたしとしては実に感激の一作である。

対してカラスウリの実の方は1年ぐらいはこのままの状態であるので、他の生け花の添えとして生けることもできるのである。

先ほど道場への来客の高齢の女性がこのカラスウリの生け花を見て、故郷の庭先を思い出して感激したと目を潤ませておられたのである。

あたしの生け花で感激したのではなくカラスウリそのものを見て感激されたわけであるが、まあ、なんでも喜んでいただければ幸いである。

カラスウリ(烏瓜)はウリ科の多年生つる植物で、花は雌雄異株で開花期は7~9月であるが、その後初秋に実をつけ、最初はグリーンにウリボウのような縞模様であった実が晩秋には写真のようにみごとな赤に近い濃いオレンジ色となるのである。

そのウリボウがこの生け花の左下にくっ付いていたので、アップである。


これは育ち遅れて今の時期まで縞模様をのこしているわけであるが、なるほどウリというだけあって食えそうである。

カラスウリは実際に食用となり、若い時期の葉はてんぷらで美味いし、ゆでればあえ物となり、ウリボウ状態の若い実なら塩漬け粕漬のような漬物となり、ゆでて汁物の具となるのである。

また、種が大黒様の打ち出の小槌に似ていることから、財布に入れておくと金運に恵まれるということで縁起物としてあれこれする人もおられるのである。

てなことで、大変めでたいカラスウリであるので、道場の笑福頂礼を願いを込めて道場の入り口に生けたわけである。

しかし、神に物事を願うと厳罰をもって答えられるので、そこはそれ、できあがった作品に向かって「ありがたいありがたい」と一心にお礼の言葉を述べたのは言うまでもないことである。


生けてから3時間経って葉が微妙にしおれてきた状態である。

このようにカラスウリは生けたとたんからしぼみ始めて、原形をとどめるのは一瞬であるが、これはこれでカラスウリの実の赤が鮮烈で、ありかもしれないのである。

作品は見る人の感性次第であるので、完成して作者の手を離れた瞬間から独り歩きして評価をあれこれするわけである。

何が幸いするかわからないのは、人生と同じである。


さらに丸1日経過した状態が上の写真である。

葉がすっかりしおれてしまって、野生の勢いやエネルギーがすっかり無くなってしまったのである。

このように、市販の花を生けるのとは違い、野草を生けるのは瞬間芸ともいえる束の間の芸術であるわけである。


さらに時は経過して4日後である。

葉は完全にしおれて当初の見る影もないが、これはこれで野趣という点では勝るものはないということも言えるのである。

自然界では冬が来ればこのような風景があたりまえである。

きれいで新鮮で鮮やかな花や葉の時期は自然界ではごく短期間で、そうでない時期の方が普通である。

葉のしおれる経過はその情景を鑑賞するということである。

象気功

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